あれから10年・・

東日本大震災から10年

今も、仮設住宅に

住んでいる方もいらっしゃると

何かの記事で見た。

辛い思いを

今もされている

津波にのまれて

亡くなった方を思うと

その苦しさは

どれほどだったか

はかり知れない

・・・・・・・

その年

個人的にも悲しい事があった

震災から10日余りたった日

兄が倒れた。

その日は春分の日。

家でテレビを見ていた兄は

急に視野が半分暗くなり

見えなくなったが

祭日で病院は休み。

とりあえず

救急対応の眼科に行った。

すると、そこの眼科の人が

脳外科に行った方がいいと

当番の脳外科を紹介してくれ

兄は、バス、電車を乗り継ぎ

その病院まで行って検査をした

すると、そこの医者は

「脳腫瘍です」

「明日、大学病院を紹介します」

と、言ったらしい。

医者が言うので疑う事もせず

一晩、そこの脳外科で過ごした

朝方、兄は急変し

意識がもうろうとなり

付き添っていた義姉が

早く、大学病院へ行くように

訴えたのに

「もう、どこに行っても同じです」

と言って、ひたすら点滴するだけ。

朝10時頃

私の職場に電話がかかってきて

「大変なの!早く来て!」

と、義姉が尋常ではない。

駆け付けた時には

兄の意識はなく

ただ、苦しそうな顔をしていた

病院側から、もうダメだと言われ

兄家族は泣きながら、葬儀の話をしていた

実は、脳腫瘍というのは

間違いで、本当は

脳梗塞だったのだ。

完全に医療ミス!

病院に行った当日の

レントゲンの写真には

少し白い影があるだけだったのに

翌朝

私たちが駆け付けた時の

レントゲン写真は

もう、頭部は真っ白になっていた。

それも、検査をするように言ったのは

看護師をしている姉が

何かおかしいと思って

再検査をするよう言ったから

発覚したのだ。

こっちが、何も言わなかったら

分からないところだった。

だけど、病院側は認めない

義姉は、ダメかもしれないが

とにかく、ここでは死なせたくないと

別の病院へ移すことを望み

転院した。

そこの病院は手厚く色々

やってくれ

すると、みるみる元気になった。

と言っても、後遺症で

眼は全く見えなくなり

脳にもダメージは残った

それでも、命が助かって

みんなとても喜んだ。

私の兄弟は、義姉に

裁判をするように言ったが

兄が元に戻る事は無いと言って

とうとう裁判は起こさなかった。

私は納得いかず、

色々な人に、医療裁判の事を

聞いてみたが

一般人の勝ち目は無いと

ほとんどの人から言われた。

医者は、守られているらしい。

兄は、凄く頭が良く、まじめ。

家が貧乏だったため

高卒で大手の車メーカーに

就職し、苦労しながら

コツコツと60の定年まで

40年以上頑張った。

9月で定年を迎えて

翌年3月に倒れた。

やっと、これから自分のやりたいことが

出来るようになったのに。

残念でたまらない。

今は、デイサービスへ通い

家では、義姉が世話をして

元気に暮らしている。

東日本大震災に遭われた方も

苦しいなか、頑張られている

兄家族も、頑張っている。

何もできない私が情けないが

心より

心より

皆さんが笑顔になられる日が

安心して暮らせる日が

1日も早く来ることを

祈っております。

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